堂崎天主堂 


福江市 1908年建立 煉瓦造り
長崎県有形文化財 筆者撮影

五島における小バチカン教会

堂崎天主堂は明治6年にキリシタン禁教令が廃止された後、五島で最初に建てられた教会である。フランス人宣教師マルマン神父が明治13年に堂崎の地に小聖堂を建てた。

 現在の天主堂はマルマン神父の後任としてこの地に来たペルー神父によって明治41年に完成し、日本26聖人に献堂された。棟梁は福江大工町の野原氏で上五島新魚目町出身の鉄川与助氏がこれを助けた。赤煉瓦、ゴチック様式のこの教会は昭和49年に長崎県有形文化財に指定されている。

 堂崎天主堂へは福江市の中心地から北へ8キロに道のりだ。県道162号線に沿って車を走らせると途中右手に浦頭カトリック教会が見えてくる。奥浦中学校を過ぎる頃から右手には美しく澄んだ湾が広がり、やがて岬の方向に赤煉瓦が鮮やかな天主堂が現れる。

 五島にはじめてキリスト教が伝わったのは1566年、五島藩主宇久純定に招かれてポルトガル人アルメイダ修道士が福江奥浦に来たことに始まる。その後、徳川幕府の禁教令によってキリスト教は衰退するが、徳川時代中期に大村藩外海の潜伏キリシタンが五島に移住するという出来事があった。五島藩が大村藩に領地開墾のため農民の移住を要請したのである。

 移住の第一団は108人、1797年に福江六方の浜に上陸した。移住は度 々行われ、彼らは平蔵、浦頭、大泊、堂崎、宮原、半泊などに居着いた。移住先は上五島にも及んだ。これらの農民のほとんどは潜伏キリシタンで、外海での迫害や嬰児の間引きの強制を逃れて五島に来たようである。彼らはやせた土地の開墾と貧苦の中で信仰を守り続けた。現在の五島の信者の多くは彼らの子孫である。

 堂崎天主堂は、禁教令から270年を経て五島キリシタン復活の拠点としアルメイダ修道士ゆかりの地に建てられ、五島における小バチカン的存在として重責を果たしてきた。

 堂崎天主堂は、昭和43年に浦頭にカトリック教会ができたことに伴い巡回教会となった。現在は月に一度、第一日曜日の朝5時半からミサが行われている。早朝のミサは、漁業に従事する信者が漁に出る前に礼拝済ませる習慣からだという。普段はキリシタン資料館として公開されている。

田嶋典明(たじま・のりあき、福岡経済同友会勤務)
2003年3月23日長崎新聞掲載