宝亀教会 

平戸市宝亀町。1899年設立。木造、れんが造り  挿絵・筆者

丘の上から人々見守る

平戸は、長崎で最初にキリスト教が伝来した地である。暗黒の江戸時代を経て、信仰の自由が認められた明治6年の翌年、宝亀地区の小川豊七ほか6名が改宗の届けを出す。これは禁教が解除されて長崎初のケースとなるため、長崎県は明治政府の了解を得たうえで許可している。
 こうして明治18年に仮堂が建てられ、明治32年に現在の木造(正面はレンガ造り)の教会になった。聖堂の両側にベランダがあることが特徴で、仰々しい正面がなければ洋風住宅と間違えそうだ。庭でスケッチをしていると、床面まである窓から、古賀人形のような婦人がベランダに出てきそうな錯覚に陥る。
 こんな瀟洒な教会を建てたのは、宇久島出身で宮大工の柄本庄一(1847年生)とされる。黒島のキリシタンの熱心さに魅せられて26才で洗礼を受け、旧紐差教会や旧井持浦教会などの建設にも携わったらしいが、正確なところは今後の調査が必要である。
 それにしても、宝亀とはなんと立派な名前だろう。地元史家の吉島孝夫氏によると、鎌倉時代には「保々木」と記されていたが、江戸時代に平戸藩主である松浦煕公が、人々が大切にしている「亀石」を見て、縁起が良いので同じ発音の宝亀に変えたとのことだ。
 亀石は、竹林の中で椿の花に囲まれ、亀に似た姿を横たえていた。禁教令によって、平戸の西海岸にある根獅子などでは多くの信者が処刑されたが、宝亀地区では殉教の言い伝えはなく、これも亀石のご利益なのかも知れない。
 旅の終わりに、宝亀漁港に立ち寄ると、教会が丘の上から人々を見守っていた。

脇田安大(わきたやすひろ ながさき地域政策研究所 理事長)
2003年6月22日長崎新聞掲載


亀石の写真です。