旧羅典神学校(Former Latin Seminario Nagasaki)

旧羅典神学校
Former Latin Seminario
 

長崎市南山手町乙1番地
1875年竣工(しゅんこう)。木骨れんが造
  1972年国指定重要文化財
  筆者撮影

端正なデザイン

 国宝大浦天主堂を訪れると、その西側に白い洋館が見える。明治8年にド・ロ神父の設計により完成した旧羅典神学校である。日本神父養成を目的とした、蒟蒻煉瓦を使った木骨煉瓦積地上3階地下1階の堂々たる建築物である。福祉、授産、医療といった分野でのド・ロ神父の功績についてはさまざまな機会に紹介されているが、建築に関するそれも少なくない。

  神父は1840年にフランスで生まれ、1868年日本に上陸した。パリ大学での就学のかたわら建築技術も修め、フランスで司祭であった時代にすでに礼拝堂を建設している。伝道のための建築というレベルをはるかに超えた建築家であったようで、建築のプランニングだけではなく、工法の指導や工具の設計まで行っていたようである。神父が設計した建築物はすでに国指定重要文化財に指定されている3件(5棟)はじめ長崎県指定重要文化財など多くを数えるが、これらの文化財のうちで最初に建設されたのがこの旧羅典神学校である。

  神父の建築の評価として質素で堅牢であるということをよく言われる。外海での授産や福祉の作業のなかで信者の先頭に立って労働し、実際家でもあった神父にとって、建築のデザインのために費用をかけることはできないことだったに違いない。しかし建築家としての神父はどうだったのだろうか。

   この旧羅典神学校は神父の我が国における本格的な建築作品の第1号であった。故国で専門教育を受け、すでに設計案件をあった神父にとって、自分の腕を示すいい機会だと思っても不思議ではない。そういった眼でこの作品を眺めると、のちの作品ではあえて抑えた神父のデザイナーとしての腕前や細かなディティールが見て取れる。特に階段廻りの曲面の美しさは見る人を魅了せずにおかない。

 くしくもこの旧羅典神学校の隣には、その工事中の事故が原因で亡くなることになり、結果として神父の最後の作品となる長崎大司教館がある。ここは明治の時代に長崎と外海の人々に深い愛を捧げた一人の宣教師の足跡をたどる起点としてふさわしい場所のようである。

(鉄川 進 一級建築士)
2008年3月8日長崎新聞掲載