黒崎教会 

西彼外海町。1920年設立。れんが造り  筆者撮影

信徒大工3代 労苦の結晶

西彼外海町は、平戸や五島へ多くの移住者を出し、長崎カトリック信徒の母郷とも呼ばれる。遠藤周作『沈黙』の舞台となったこの地のシンボルが、三廊式でリブ・ヴォールト天井を持つ、堂々たる赤れんがの黒崎教会だ。
 この近くの潜伏キリシタンの家に生まれた川原久米吉(1819ー1903年)は、幕末の旧大浦天主堂の創建にも大工として参加。明治4(1871)年春、天主堂で働いていたある日、仕事を終え外に出たところを捕らえられ深堀の牢(ろう)につながれ、12月には神ノ島の西忠吉・政吉たちとともに佐賀送りとなる。欧米の非難を浴びた政府が弾圧政策を転換したため、翌1月末に釈放。その後、各地の教会建築に携わった。
 1879年、ド・ロ神父が外海に赴任。久米吉の娘キヤは出津救助院に入り後に副院長を務め、息子たちも出津教会の建築に参加した。世紀末に、岩永神父のもと黒崎教会の計画が浮上。ド・ロ神父も設計に関(かか)わり敷地造成も指揮したといわれるが、資金難で中断。工事再開は実に1918年で、2年後に完成。
 何代にもわたる信者の信仰の重みと期待を一身に背負い、棟梁(とうりょう)として一統を率いたのは久米吉の息子、忠藏。三男で建築に参加した片山伝次郎によると、「神様の仕事をしとるんだから一銭たりともまちごうたらいかん」と真夜中にもそろばんを入れ直すなど、頭には教会のことしかなかったそうだ。忠蔵は山野教会なども建てている。
 忠蔵の長男、川原正治も、善長谷教会や中町教会、津和野教会などを施工した。

幸田亮一(こうだりょういち、熊本学園大学商学部教授)